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3つの柱

Spiritual Care


精神分析学のフロイトは、「精神的に健康な人間にできることは、働くことと愛することである」と述べました。

現在この日本では、学校に行かず、仕事もせず、専門的な職業訓練も受けていない、所謂ニート(NEET)層の問題が、フリーターの増加と並び就業問題として浮上してきています。内閣府の推計によれば、全国で約85万人に上り、2015年には100万人を突破することが確実視されているそうです。また、全国の児童相談所での児童虐待の相談処理件数は、10年ほど前の約20倍に増加し、2004年度には、3万2千人を超える相談があっています。一方で、自殺者の増加も著しく、2003年度は3万4千人を超え、同年の交通事故死者数7千7百人のなんと4倍以上もの人が、自ら命を絶っているのです。

働くこと、自他を愛することが現在の日本では難しいようです。1998年WHO(世界保健機関)委員会において、従来の健康の定義を見直す動きがありました。これまで『健康とは、単に疾病または虚弱でないばかりでなく、身体的、精神的および社会的に安寧な状態である』と定義づけられていたものから、『健康とは、単に疾病または虚弱でないばかりでなく、肉体的、精神的、霊的(スピリチュアル)および社会的に完全に良好な力動的状態を指す』と改めようという提案でした。ここに、"霊的健康"という概念が盛り込まれたのです。これは、人間を身体、心、そして魂という三つの全体として見ていこうとする新たな視点が求められたものであり、霊性というものが非科学的な言葉ではないということが裏付けられたとも言えるでしょう。

では、その霊性(スピリチュアリティ)とは何かだが、「存在の意味を見つけだしたいという生の次元」とか「精神と物質の背後にあって、それらを操り統一させるものであり、生きていくうえで欠くことが出来ないもの〔鈴木大拙(仏教哲学者)〕など、様々な視点からの定義づけがなされています。がしかし、より理解の手助けとするためには、ここでSpiritual Pain(スピリチュアル・ペイン)という概念をご紹介しましょう。Spiritual Painとは、「自己の存在と意味の消滅から生じる苦痛」であり、生きる目的や意義、自己存在の意味、価値といったものを見失うといった、まさに日常性が破れ、危機的状況に遭遇したときに味わう苦悩、"存在の痛み"なのです。

ヴィクトール・フランクルの実存分析では、『人間は、<自らの自由意志に基づいた責任のある決断を行い、人生の意味や、価値を追及しうる存在>すなわち、「意味への意志」を発動することのできる存在である。』としています。

私たちは、「意味への意志」を備えているからこそ、あらゆる事象に意味を付与し、その意味により行動が導かれるのです。もしも、自己の存在が周囲から決して愛されず、求められぬ存在という根源的な苦悩を感じる場面に直面したならば、その瞬間人は生きる意義と目的、存在の意義を失い、これからに絶望するのです。これはIdentity(アイデンティティ)の崩壊を意味します。

Identityの崩壊は、嗜癖(アディクション)する生き方を加速させます。嗜癖者は、『宿命』として出会った限定存在としての親(存在の原初)との対峙からの問いかけ、『運命』からの「なぜ私が・・・」の問いかけに答えを見い出せず、まさに"意味への意志の挫折"を体験しています。WHO心療内科教授の永田勝太郎氏は、実存分析の本質について『人間の精神における、人間固有の自由性、しかも責任を伴う自由性を行使させ、治療に応用しようというところにある。患者固有の内なる精神の自由性と責任性に 自ら目覚めさせ、運命や宿命に抵抗する自由もあることに気づかせ、そこから、その患者独自の人生の意味を見い出させようとするものである。その結果、患者が、「実存的転換(人格的態度の変容)」に到達することもある』と述べています。

私たち人間は、個々の「生きる意味」に根ざした態度、即ち"生き様"の変容を、人間を存在たらしめているその実存性によって、果たし得るのです。この実存性が霊性であり、自己の生の無意味、無目的、無価値を体験し味わう痛みが、Spiritual Painなのです。

世の中の事象は、事実と意味から成り立っています。『ストレスの引き金を引くのは、危険の認知であって、出来事それ自体ではない。この認知は、その人の気質と経験によって異なる。』(D.フリードマン博士)。事実としての出来事に与えられた意味によって、人はストレスを抱えるのです。3万人を超える自殺者の多くは、生きがいの喪失が原因ということが言われています。意味や価値の創造は、生きがいの創造であり、生きがいに根拠を与えます。

生きがいを得るためには、スキーマ(認識の枠組み)を拡大し、体験の認知を深化させ、出来事への意味づけの選択肢を増加させることが必要です。これを<霊的成長>といい、逆に、自分の過去や将来を考えるときの選択肢が単一で代替物がない状態を<霊的未発達>といいます。〔斎藤学(精神科医)〕

私たちが、日々ストレスを乗り越え、生きがいのある志をもって生きていけるためには、何が必要なのでしょう。それは、ストレス学説のハンス・セリエ博士の次の言葉にヒントがあるようです。ストレスに克つ方法は?「それは東洋の感謝の原理です。」

霊性は、「あたりまえのことも、与えられた恵と感謝できる心性」〔W・キッペス博士(臨床パストラルケア)〕でもあります。日本には、感謝の原理として御蔭様(おかげさま)という思想があります。蔭は影であり、陰でもあります。つまり、見えない、知られない、気づかれないところで、自分を支えてくれている何者かへの感謝の心を表しています。光と影、陰と陽。これらは二つにして一つであり、蔭(影・陰)は現れのもの(成果)として現象化するために欠くべからざるものなのです。その御蔭(おんかげ)への感謝こそが、ストレスに克ち、生きがいのある志自己の独自性、自分だけに与えられた人生の意味・価値オンリー・ワン)をもって生きていくための最良の方法であり、Spiritual Painを和らげ、霊的成長を促す、先祖から継承された智慧なのです。


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